2012年7月26日木曜日

「アメリカにおけるクィアの表現」

「エイズ危機時代のアメリカにおけるクィアの表現とその可能性」というトークイベントが8月の 頭にあります。関連しそうな最近のトピック二つと一緒にご紹介。

■Cynthia Carr Fire in the Belly: The Life and Times of David Wojnarowicz 

アーティストのデイヴィッド・ヴォイナロヴィッチ(1954-1992)の新しい伝記が刊行(via catch fire)。著者は、1984年から2003年までヴィレッジ・ヴォイス誌で、コラムニスト、アート関連の記者を務めた人物で、生前のヴォイナロヴィッチと交流があったという。目次、序文が以下で公開されている。

■Perspectives 179-Alvin Baltrop: Dreams Into Glass


Contemporary Arts Museum Houstonで、アフリカ系アメリカ人の写真家アルヴィン・ バルトロップ (1948-2004)の展覧会が開催されている(詳細)。バルトロップは、70年代から80年代にかけて、ニューヨークはマンハッタンのウェストサイドにあるピア(埠頭)で撮影した写真で有名。当時荒廃していたその地区に、どこにも行くあてのない人々、セックスの相手を探す人達などが入り込んでいた。男性同士のセックスや、真っ裸でチルしているような姿(また、水中から引き上げられた遺体のようなもの)も含め、そこでのひとびとの姿を、廃墟と化した倉庫や都市構造物とともに バルトロップ の写真は写し取っている。ちなみに上のヴォイナロヴィッチ もここいらのピアを訪れており、バルトロップの写真の中にはその作品が見出されるものもあるという。今回の展示では、このピアの写真だけでなくより広く紹介されているのかもしれない。注目してみたい。
※上の記述の典拠も含め、 バルトロップ (や、この時期のこの場所)についてはあらためて別の記事で取り上げる予定。

今回の展示では小さなカタログも出版される模様(→amazon


■エイズ危機時代のアメリカにおけるクィアの表現とその可能性


以上の二人のアーティストはクィアということと結び付けられもする作家たちである。クィアとはなんぞや、ということも、これから色々と書いていければと思っているが、ちょうどこの日本でも、標題のようなイベントが 2012年8月4日 (土) に原宿の VACANT で行われる(詳細)。イベント趣旨を以下に引いておく。
80~90年代にかけエイズ危機に覆われたアメリカ美術界で、セクシュアルマイノリティのアーティストたちは誰に向けてどのような表現を行っていたのでしょうか。 デイヴィッド・ヴォイナロヴィッチやフェリックス・ゴンザレス=トレスをはじめとしたセクシュアルマイノリティの作家に顕著な「抗い」や「哀しみ」という時代特有の表現を再考しながら、 彼・彼女らの手法は、セクシュアルマイノリティによる表現がいまだ表面化しづらい日本においてどこまで可能か、アーティストのミヤギフトシをホストに各界からゲストを迎え、ともに見てゆきます。
本トークは、現在開催中のミヤギの個展「American Boyfriend」(@Ai Kowada Gallery, 2012年7月21日〜8月18日)に併せて、TOO MUCH magazineとの共同企画として開かれるもの。スピーカーとして、ミヤギの他に、東京都写真美術館の笠原美智子、哲学/表象文化論の研究者であり批評家の千葉雅也、聞き手として編集者/ライターの江口研一が参加する。笠原は、写美でジェンダーに関わる企画展を手がけてきたことで有名だが、2010年に同館でヴォイナロヴィッチも出品作家に含む展覧会『ラヴズ・ボディ ー生と性を巡る表現』を企画している(展覧会タイトルの英題には「art in the age of AIDS」という一節を含む/参考レビュー)。千葉は、いわゆる(若手)批評家と言われるような人の中で積極的にクィア(/クィアセオリー)に言及、コミットしている数少ない論客。それは、ギャル男論のような批評寄りのテキストでも、現在『現代思想』で行われてる連載(「アウト・イン・ザ・ワイルズ」)のような哲学寄りのテキストでも伺える(あるいは、日常的なtwitterでの発言も)。今回のトークでは、たとえばギャル男という例からも想像されるように、日本独自のクィア/な表現のあり方についても語られるようだ。 ミヤギについては、今回の個展についての自身によるテキスト(先のリンク参照)を読んでみてほしい。

私は知人であるミヤギさんからこの企画や個展のテーマについて聞いてから、クィア関連の本や、「エイズ危機時代のアメリカ」関連の本をいろいろと読んできたが、それらの読書は大変刺激的なものだった。そこらについても、少しずつ書いたりしていきたいと思うのだが、たとえば、(今回のトークでどれくらい扱われるかは分からないが)、「エイズ危機時代のアメリカ」とアートとの関わりの中でも、大きなトピックとなるエイズ・アクティヴィズム(アーティストや知識人の関わりも多かった)について読む時に、ただ歴史を学ぶ、あるいは自分のアイデンティティについて考えるということだけでなく、そこから何を学び、受け継げるかという意識が高まるのを意識せざるを得なかった。それは、アメリカにおける黒人による運動が、ゲイの運動へと影響を与えていた、というような運動の歴史のあり方について知ったことにもよるが、端的に言って、あ、自分も戦っていく(いる)のだな、そして戦うことには戦略というものがあるのだな、というような小さな意識である。首相官邸前デモだって無縁のことではないのだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿