2012年9月19日水曜日

今井晋に聞く

先週、本郷で今井晋君(@shinimai)に時間をとってもらい、じっくり話を聞いてきた。
彼は東大の博士課程に在籍する大学院生で、ポピュラー音楽研究・分析美学・音楽の哲学を専門としている。
これまでもいろんなかたちで交流してきたのだが、今回あらためて、彼の専門である美学について、彼なりの捉え方を語ってもらった。

美学は、どのようなものをどのように扱う学問であるのか。美学的なものは、研究者に限らず人々と関わりがあること、そしてそのあり方について。美学を学んだものが社会の中でなしうる仕事としてどのようなものがありえるか。美学を学ぶことによって得られる視点、などなど。

同時に、自身のパーソナルヒストリー的視点からの話もしてもらった。
彼がどのように美学という学問にたどりつき、それを専門とする選択するに至ったか、という話である。 彼が大学入学以前に、どのような文化に触れ、好んでいたか。どんな自己形成をしていたか。
大学生活を過ごした00年代の学問的、文化的状況、もっと具体的には大学内の状況がどのようなものであったか。それに彼がどう反応したか。

00年代のことを振り返ることができたのは、同世代で、文化に対する特別な思いを共有し(もちろんその方向性にズレはあろうが)、また人文学あるいは文化についてどう考え、書くのかについても興味を持ってきた者として、とても貴重な機会だった。
(たとえば、カルチュラル・スタディーズはどんなインパクトがあったのか。フランス現代思想のようなもにノレなかったのはどういうところからきてたのか、というような話もでた。)

これまで、今井君と私の関わりで外に対して発信されてるものとしては、彼の研究者としてのサイト(こちら)を編集・制作してきたことがある。
今回のインタビューは、その関わりをより推し進めてみようという思いから行ったものだ。

現在、この日の話をもとにした記事、コンテンツを企画中。インタビューの中で浮かび上がった、「在野のエステティシャン(美学者)」という魅力的なキーワードを軸にまとめられる予定。

2012年8月3日金曜日

08年~09年かけてのフィールドワーク:横浜・桜木町、高架下

先日ある集まりでお話を聞く機会があったアーティストの Houxo Que [ホウコォ キュウ]さんが、現在グループ展「Post dpi」 に参加されている。展示については拝見してから何か書けたらと思っているのですが、Queさんのお話を伺ったとき、ご自身の表現のルーツがグラフィティにあるというのを聞いて、昔自分が桜木町のフィールドワークやってたの思い出したので、以下今回はその話を。

カバーされた高架下

このフィールドワーク(呼ぶとしたらそう呼ぶというぐらいで、実態はたださまよってたのだが)は、桜木町の高架下で、主に08年から09年にかけてやったものだ。flickr上に写真は載せてるけど、まとまったテキストは書いてない。今からでもなんか書くことはできるだろうか? あまりプランはないのだけれど、とりえず新たに調べたりはせず、当時やったこと、考えたことをこの機会に少し記しておく(twitterでまとめてある写真を紹介するぐらいで軽く書こうとしたら、数post分になったので、記事にすることにした)。

08年から09年というその時期は、旧東横線の高架下歩道(一方は国道18号線に接している)の壁面を1キロ以上にわたり延々と覆ってた、グラフィティを撤去する大規模な工事が行われた時である。そういえば、工事前の時点で、一部が既にリーガルウォール化だかなんだかされて、みたいなこともあった(もともと期限付きのプロジェクトだったリーガルウォールを撤去するのが今回の工事である、みたいな論理=説明もあったっけ)。その時の自分の感覚では基本的に、他にも色々なところを見ていた横浜という都市のフィールドワークの一貫として行ったもので、グラフィティ・カルチャーにおいてあの場所がどういう場所だったのか、までは追えていない。資料での調査もこの件に関してはほとんどしてなくて、ただただそこを訪れ歩き、写真を撮っていた。

調査はしてないが、一目瞭然なことはあった。その高架下歩道は、壁面が様々なグラフィティで覆われることで、長年にわたって非計画的に作り上げられてきた独特の物理的環境となっていた。そこにしかない風景が形作られていたわけだ。またそれは、高架下歩道という独特の都市構造物であり、道路に面した部分は開け放たれてる(壁はない)ものの、トンネルのような空間性があった。一方から光が入るため、その時の光の様子によって、その空間はドラマティックに変化した。そしてそのトンネルのような空間の表面は様々な、落書き~グラフィティで覆われていた。横浜という都市の中、そのトンネル(高架の向こう側はみなとみらいだ)をスタスタ歩いて行く感じ...。

それらが、都市計画的に、まとまったお金を投下され、ぐっと凝縮された時間で変化させれられる様子、それが自分がこのフィールドワークで目撃し、捉えようとしていたものだ。クリシェを使うと、それは「暴力的な」変化というようなものだったろう。「暴力」という語の感じは、写真の中にある、肌を剥がされたような壁の姿からも理解してもらえるだろう。私の写真だけでは、工事のあるプロセスでの、鳴り響いていたってレベルじゃないほんとすさまじい壁を削っていたのだろう音や、削った後の独特の匂いまでは伝えることができないのだが。

桜木町・高架下歩道

「暴力」ということばの使用が、価値判断を含みすぎだとしたら、ただ「力」と言ってもいい。大きな「力」の行使が目に見えるかたちで現れるのを見た。そして、そのように何かを大きく変化させることができる「力」を「われわれ」が持っているということは、ある時には素晴らしいことでもあろうとその時考えたのも覚えている(で、これはどうなの?って)。と同時に、これからそこを歩く時は、常に「失われた」状態としてその空間を感じるのだろう思ったことも。光によるドラマティックな効果は今もおこっている。薄暗い日もあれば、素晴らしい光が差し込む日もある。それぞれのスピードで歩く人、自転車で走り抜ける人が、ツルんとした壁を背景に浮かび上がる。

DSCF9648

※このフィールドワークの写真は、桜木町・高架下歩道/グラフィティ/撤去工事 - a set on Flickr からご覧いただけます。リンク先説明にあるように、スライドショーでの閲覧がおすすめです。写真は撮影日が新しい順で並んでいます。一部、高架下ではない、その高架下周りの写真も含んでいます(そのほとんども失われたと分かるでしょう)。また、同じく記していますように、在りし日の高架下歩道グラフィティの様子(といってもそれはグラフィティというものの性質上固定したものではなくある時間的な流れの中で変化していたわけですが)は、他の方々がflickrに投稿されている写真からうかがうことができます。

都市構造物

2012年7月26日木曜日

「アメリカにおけるクィアの表現」

「エイズ危機時代のアメリカにおけるクィアの表現とその可能性」というトークイベントが8月の 頭にあります。関連しそうな最近のトピック二つと一緒にご紹介。

■Cynthia Carr Fire in the Belly: The Life and Times of David Wojnarowicz 

アーティストのデイヴィッド・ヴォイナロヴィッチ(1954-1992)の新しい伝記が刊行(via catch fire)。著者は、1984年から2003年までヴィレッジ・ヴォイス誌で、コラムニスト、アート関連の記者を務めた人物で、生前のヴォイナロヴィッチと交流があったという。目次、序文が以下で公開されている。

■Perspectives 179-Alvin Baltrop: Dreams Into Glass


Contemporary Arts Museum Houstonで、アフリカ系アメリカ人の写真家アルヴィン・ バルトロップ (1948-2004)の展覧会が開催されている(詳細)。バルトロップは、70年代から80年代にかけて、ニューヨークはマンハッタンのウェストサイドにあるピア(埠頭)で撮影した写真で有名。当時荒廃していたその地区に、どこにも行くあてのない人々、セックスの相手を探す人達などが入り込んでいた。男性同士のセックスや、真っ裸でチルしているような姿(また、水中から引き上げられた遺体のようなもの)も含め、そこでのひとびとの姿を、廃墟と化した倉庫や都市構造物とともに バルトロップ の写真は写し取っている。ちなみに上のヴォイナロヴィッチ もここいらのピアを訪れており、バルトロップの写真の中にはその作品が見出されるものもあるという。今回の展示では、このピアの写真だけでなくより広く紹介されているのかもしれない。注目してみたい。
※上の記述の典拠も含め、 バルトロップ (や、この時期のこの場所)についてはあらためて別の記事で取り上げる予定。

今回の展示では小さなカタログも出版される模様(→amazon


■エイズ危機時代のアメリカにおけるクィアの表現とその可能性


以上の二人のアーティストはクィアということと結び付けられもする作家たちである。クィアとはなんぞや、ということも、これから色々と書いていければと思っているが、ちょうどこの日本でも、標題のようなイベントが 2012年8月4日 (土) に原宿の VACANT で行われる(詳細)。イベント趣旨を以下に引いておく。
80~90年代にかけエイズ危機に覆われたアメリカ美術界で、セクシュアルマイノリティのアーティストたちは誰に向けてどのような表現を行っていたのでしょうか。 デイヴィッド・ヴォイナロヴィッチやフェリックス・ゴンザレス=トレスをはじめとしたセクシュアルマイノリティの作家に顕著な「抗い」や「哀しみ」という時代特有の表現を再考しながら、 彼・彼女らの手法は、セクシュアルマイノリティによる表現がいまだ表面化しづらい日本においてどこまで可能か、アーティストのミヤギフトシをホストに各界からゲストを迎え、ともに見てゆきます。
本トークは、現在開催中のミヤギの個展「American Boyfriend」(@Ai Kowada Gallery, 2012年7月21日〜8月18日)に併せて、TOO MUCH magazineとの共同企画として開かれるもの。スピーカーとして、ミヤギの他に、東京都写真美術館の笠原美智子、哲学/表象文化論の研究者であり批評家の千葉雅也、聞き手として編集者/ライターの江口研一が参加する。笠原は、写美でジェンダーに関わる企画展を手がけてきたことで有名だが、2010年に同館でヴォイナロヴィッチも出品作家に含む展覧会『ラヴズ・ボディ ー生と性を巡る表現』を企画している(展覧会タイトルの英題には「art in the age of AIDS」という一節を含む/参考レビュー)。千葉は、いわゆる(若手)批評家と言われるような人の中で積極的にクィア(/クィアセオリー)に言及、コミットしている数少ない論客。それは、ギャル男論のような批評寄りのテキストでも、現在『現代思想』で行われてる連載(「アウト・イン・ザ・ワイルズ」)のような哲学寄りのテキストでも伺える(あるいは、日常的なtwitterでの発言も)。今回のトークでは、たとえばギャル男という例からも想像されるように、日本独自のクィア/な表現のあり方についても語られるようだ。 ミヤギについては、今回の個展についての自身によるテキスト(先のリンク参照)を読んでみてほしい。

私は知人であるミヤギさんからこの企画や個展のテーマについて聞いてから、クィア関連の本や、「エイズ危機時代のアメリカ」関連の本をいろいろと読んできたが、それらの読書は大変刺激的なものだった。そこらについても、少しずつ書いたりしていきたいと思うのだが、たとえば、(今回のトークでどれくらい扱われるかは分からないが)、「エイズ危機時代のアメリカ」とアートとの関わりの中でも、大きなトピックとなるエイズ・アクティヴィズム(アーティストや知識人の関わりも多かった)について読む時に、ただ歴史を学ぶ、あるいは自分のアイデンティティについて考えるということだけでなく、そこから何を学び、受け継げるかという意識が高まるのを意識せざるを得なかった。それは、アメリカにおける黒人による運動が、ゲイの運動へと影響を与えていた、というような運動の歴史のあり方について知ったことにもよるが、端的に言って、あ、自分も戦っていく(いる)のだな、そして戦うことには戦略というものがあるのだな、というような小さな意識である。首相官邸前デモだって無縁のことではないのだ。